Thought about system by Hiroyasu Ishikawa

We are uncovering better ways of developing system.

私の批判に対する心の保ち方

ソニックガーデンの倉貫さんの記事を受け、私が感じたことと、私なりの安寧の保ち方を少し書きたいと思った。

倉貫さんの心の保ち方

倉貫さんの記事は以下より。
medium.com

なかでも今まで知らなくて、なるほど、と思ったのがゲニウスのくだり。

外在するゲニウスによってもたらされるものとすることで、作品と作者の結びつきを弱くできる。

さらに、よく考えると今自分が考えていること「アウトプット」の源泉は、他人もしくは他人の著作のインプットによるものであることは事実だと思う。例えば、物心ついたころには親から、学校に行くようになれば先生・友人から、社会に出れば同僚から、識字できる以上の年齢なら本から、インプットをもらって新たにアウトプットさせて頂いている、とも思える。そこからインスピレーション(発想)しているのは自分ではあるものの、考えまくって、悩んだあげく、なんちゃらが下りてくる、なんていう言葉があるように、ゲニウスがポロっと取り付いて、発想できているというのは、ストンと納得できる。

私の心の保ち方

上のゲニウスが加わりそうではあるものの、今日までの考え方の一部を紹介してみようと思う。

私は、まだまだ、多くの批判を受けたことがないと思っている。他人と比較しても仕方がないが、インプットを得ている人たちを見ているとそう思ってしまう。それは、転じて自分のアウトプットが世に広く出せていない証左だと思っている。だからこそ、批判をたくさん受けるほど、アウトプットを出せていることを少々うらやましくも思ったりする。であるから、これから多くの批判を受ける立場になったとき、それは成長し、自分のアウトプットが世に出る、「出世」したと考えることができるような気がする。

次に、少ないながらも、何かしら作っている職業柄、時折、ポジティブ・ネガティブ含めた反応をいただくことがある。
そんな時に思うことは、まず、
「人間は、言葉で意思を正確に伝えることはできない」
という確からしいことだ。
詳細は哲学書に譲るが、ウィトゲンシュタイン氏の言語ゲームあたりで探すと出てくる。
「言語は厳密に定義なんてできない」(ゲームと同じようなものだ)
で、あるからして、
自分の記事が「わかりにくい」とか「伝わらなかった」とか「曲解された」とか、そういう批判はそもそも、「完璧にわかる」文章を書くこと自体が不可能であるから、気にしなくて良い、と考えるのは私の心の保ち方だ。この、偉大な先人が、考えに考えを重ねて、明らかにしてくれた確からし*1事実をもとに私は心を保っている。

ただし、唯一気を付けたいと思うのは、批判というか、有用な指摘である。アウトプットに対する反応で学ぶこともあるため、この辺のバランスが非常に難しいな、と感じる。

ソフトウェアを作ること、というのは人間の「認知」という能力に基づいているところがあるため、自分の思想がアウトプットに反映されやすいと思う。私も倉貫さんや先人の考え方に学び、批判を過度に恐れることより、アウトプットできなくなることを恐れるように行動していきたい。

と書きながら、この記事の反応を恐れつつも公開しよう

恐れながらも、公開していただいた倉貫さんに拍手を送り、私もこの乱文を公開しよう。

*1:そもそもそれも文章で読んでいるのだから私が完全に理解したとは言えないはずなので、確からしい、となると考えている

Sprottyのサンプルをビルドする

SprottyというEclipseのプロジェクトがある。サイトの解説の一文を直訳すると、Webベースの作図フレームワークである。

はじめに

Eclipseのプロジェクトサイトは以下にある。
Eclipse Sprotty | projects.eclipse.org

ソースはGitHubから取得できる。
github.com

サンプルをビルドする

GitHubからgit cloneする。

Node.js, Yarnをインストールしていない場合はそれらをインストールしておく。
レポジトリのREADME.mdにあるように、clientのディレクトリで以下を実行すれば良い。

yarn
yarn  examples:build

Proxyがある場合は、yarnのコンフィグを設定してから実行するか、yarnのコマンドに`--proxy`と`--https-proxy`あたりを指定すれば良いらしい。

サンプルを実行する

`client/examples/index.html`をブラウザで開くと幾つかあるサンプルページへのリンクが表示される。
例えば、Class Diagram(クラス図)のサンプルであれば以下のようなダイアグラムが表示される。

Sprotty - sample class diagram

Clean Architecture

少し前にコミュニティに関連して翻訳レビューに参加させてもらったClean Architectureという書籍が7月末に出版されたようです。

このClean Architectureという本は、アジャイルソフトウェア開発で著名なRobert C. Martinさんが書かれた本です。
訳者である角さんがあとがきでも記述しているのと同じように、少々クセがあったり、すっきりしない部分もあると思っています。
しかし、提唱されているClean Architectureのみならず、そこに至る考え方、例えばアーキテクチャは何のためにあるか、のような筆者の考え方、なぜそう考えるのか、という説明は、多くの学びを得ることができる本だと思っています。

www.kadokawa.co.jp

電子書籍も出ています(達人出版会
tatsu-zine.com

Vimで検索した文字列にジャンプせずにハイライトする

Vimで`*`や`?`を使って検索してハイライトするのだけれど、検索先へジャンプしてしまう。
また、複数の文字列をハイライトできない。
そんな時に有効なコマンド。

:match Search /{string}/

goroutineを試してみた

Go言語のgoroutineを試してみたのでメモ。

なぜ試したか

Go言語の筆頭の特徴っぽいので。

どう試したか

Windows環境にGo言語の環境をインストールして、以下のように実装、コンパイルして実行。

func say(s string) {
	for i := 0; i < 4; i++ {
		time.Sleep(1000 * time.Millisecond)
		fmt.Println(s)
	}
}

func main() {
	go say("world")
	say("hello")
}

回数とスリープ時間を変更して試していたらworld出力される前に終了しているケースがあった。
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ポートで動いているプログラムを確認する

Linuxのポートで動いているプログラムを確認する。lsofはインストールされていないとする。

デーモンがポートをLISTENしているかを確認したかった。
しかも、lsofがインストールされていない環境で、むやみにインストールはできない。

netstat の-pオプションを使った。
なお、管理者権限(sudoするなど)でないと出力されないものがほとんど。

SHIROBAKOに添えて、アニメーションを作ること

SHIROBAKOは言わずもがな、アニメーションを作ることをテーマとしたアニメーションだ。そこから、自分のお仕事や夢などに重ね合わせて語られることも多い。しかしながら、ここはやはりSHIROBAKOの内容に沿い、私がアニメーションを作ることについて感じていたことを書いてみようと思う。

時々、疑問に思うことがある。アニメーションは、どういう産業なのだろうか、と。モノを作るから工業なのだろうか。
作る人の構成から見てみると、アニメーションを作る現場を描いたSHIROBAKO、登場人物に字幕をあてるほどに関係者が多い。
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それは、エンディングに流れるスタッフロールを見ても明らかだ。広報や総務のような間接的にかかわる人を抜いても、テレビ作品1つに対してだって10人や20人ではない。 2人集まればチーム、なんて話を聞いたことがあるが、これだけの人数がいると間違いなくチームとなる。だからこそそれをまとめる制作が必要となる。
そして、作業を見てみると、それぞれのセクションで分業化が進む。
第9話「何を伝えたかったんだと思う」では、監督のスランプと並行して、美沙の3D業務が語られる。クルマの部品の3Dをひたすら作るのだ。特に、美沙は日々タイヤと格闘している。
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そして、同僚に問う。「明日も明後日も、1年後も2年後も車ですよね」
同じようなものを日々作っている、と言いたかったのかもしれない。

ここまで見ると、確かに工業に近い要素を持つ気がする。しかし、それは機械のような工業と違う側面を持つ。例えば、芸能に近い側面を強く持つと感じる。
例えば、原画。絵コンテという上位の指示はあるものの、キャラクターを動かすのは原画マンだ。 それは俳優が脚本や監督の指示に従って、アクションするのと非常によく似ていると思うのだ。
アニメーターがキャラクターの動作を考え、キャラクターを絵の上で演じさせる。自分自身の体を動かすか絵の上の体を動かすかという御する対象の違いはあれど本当によく似ている。
第7話「ネコでリテイク」では、アニメーターの絵麻がネコを描くのに苦悩する。
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これを、俳優基準で考えると、自分がネコになり、ネコの動作をするということに近い。アニメーターは時として人間以外も演じるのだ。
表題とは全く関係ないことだが、絵麻かわいいよ、絵麻。

この工業的な側面と芸能的な側面がアニメーションを作り続けることの難しさにつながっているように感じる。
例えば、近年、アニメーションは業務時間や収入面で良くない話題が多い。SHIROBAKOの中でも深夜に及ぶ作業が幾度となく描かれている。収入面も問題が赤裸々に描かれていないものの、一流のアニメーターといってよい瀬川さんでさえ小さいアパート住まいである。
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これが頭脳労働者、ホワイトカラー、ビジネスマンのような視点で見ると、業務時間がおかしい、収入が釣り合わない、となるのだろう。しかし例えば、芸人、役者の視点で見てみるとどうなのだろう、とも思うのだ。売れていない芸人が前座をたくさん努めたから、その時間単位の給料をもらってはいないし、それに対して批判する人は少ない気がする。

実は、私はソフトウェア開発を生業としているが、近い場所にアニメーション制作がある。最近少し遠くなったが、制作の現場は変わっていっているのだと感じる。アニメーション関係なく、組織はそう簡単には変わらないのが常であるが、アニメーション制作は変わっていっているように感じるのだ。時折、アニメーションを作ることはソフトウェア開発と似ているように感じることがある。妻とその類似性について話したことがあるが、またどこかで話すことができたらと思う。
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SHIROBAKOにエンタメとして描かれたことは、今後どう変わっていくのだろうか。今後アニメーションはどう作られていくのだろうか。
エンタメに昇華させた方々に拍手を送りながら、未来を期待してSHIROBAKOを今夜は見ている。