Thought about system by Hiroyasu Ishikawa

We are uncovering better ways of developing system.

SHIROBAKOに添えて、アニメーションを作ること

SHIROBAKOは言わずもがな、アニメーションを作ることをテーマとしたアニメーションだ。そこから、自分のお仕事や夢などに重ね合わせて語られることも多い。しかしながら、ここはやはりSHIROBAKOの内容に沿い、私がアニメーションを作ることについて感じていたことを書いてみようと思う。

時々、疑問に思うことがある。アニメーションは、どういう産業なのだろうか、と。モノを作るから工業なのだろうか。
作る人の構成から見てみると、アニメーションを作る現場を描いたSHIROBAKO、登場人物に字幕をあてるほどに関係者が多い。
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それは、エンディングに流れるスタッフロールを見ても明らかだ。広報や総務のような間接的にかかわる人を抜いても、テレビ作品1つに対してだって10人や20人ではない。 2人集まればチーム、なんて話を聞いたことがあるが、これだけの人数がいると間違いなくチームとなる。だからこそそれをまとめる制作が必要となる。
そして、作業を見てみると、それぞれのセクションで分業化が進む。
第9話「何を伝えたかったんだと思う」では、監督のスランプと並行して、美沙の3D業務が語られる。クルマの部品の3Dをひたすら作るのだ。特に、美沙は日々タイヤと格闘している。
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そして、同僚に問う。「明日も明後日も、1年後も2年後も車ですよね」
同じようなものを日々作っている、と言いたかったのかもしれない。

ここまで見ると、確かに工業に近い要素を持つ気がする。しかし、それは機械のような工業と違う側面を持つ。例えば、芸能に近い側面を強く持つと感じる。
例えば、原画。絵コンテという上位の指示はあるものの、キャラクターを動かすのは原画マンだ。 それは俳優が脚本や監督の指示に従って、アクションするのと非常によく似ていると思うのだ。
アニメーターがキャラクターの動作を考え、キャラクターを絵の上で演じさせる。自分自身の体を動かすか絵の上の体を動かすかという御する対象の違いはあれど本当によく似ている。
第7話「ネコでリテイク」では、アニメーターの絵麻がネコを描くのに苦悩する。
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これを、俳優基準で考えると、自分がネコになり、ネコの動作をするということに近い。アニメーターは時として人間以外も演じるのだ。
表題とは全く関係ないことだが、絵麻かわいいよ、絵麻。

この工業的な側面と芸能的な側面がアニメーションを作り続けることの難しさにつながっているように感じる。
例えば、近年、アニメーションは業務時間や収入面で良くない話題が多い。SHIROBAKOの中でも深夜に及ぶ作業が幾度となく描かれている。収入面も問題が赤裸々に描かれていないものの、一流のアニメーターといってよい瀬川さんでさえ小さいアパート住まいである。
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これが頭脳労働者、ホワイトカラー、ビジネスマンのような視点で見ると、業務時間がおかしい、収入が釣り合わない、となるのだろう。しかし例えば、芸人、役者の視点で見てみるとどうなのだろう、とも思うのだ。売れていない芸人が前座をたくさん努めたから、その時間単位の給料をもらってはいないし、それに対して批判する人は少ない気がする。

実は、私はソフトウェア開発を生業としているが、近い場所にアニメーション制作がある。最近少し遠くなったが、制作の現場は変わっていっているのだと感じる。アニメーション関係なく、組織はそう簡単には変わらないのが常であるが、アニメーション制作は変わっていっているように感じるのだ。時折、アニメーションを作ることはソフトウェア開発と似ているように感じることがある。妻とその類似性について話したことがあるが、またどこかで話すことができたらと思う。
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SHIROBAKOにエンタメとして描かれたことは、今後どう変わっていくのだろうか。今後アニメーションはどう作られていくのだろうか。
エンタメに昇華させた方々に拍手を送りながら、未来を期待してSHIROBAKOを今夜は見ている。